愚公 山を移す

 高い山にまれて、往来不便さに閉口していた愚公という老人が、あるとき家族を集めて、こう相談をもちかけた。「わしは、お前たちとありったけの力を出し合って、あの山を切りくずそうと思うが、どうじゃろうか」家族の一同、大いに賛成したが、愚公細君は「切りとった土や石をどこにてるんですか」と心配した。しかし、他の者たちは「渤海にでも投げすてるさ」と大変意気ごみで、とうとう相談がまとまり、仕事にかかった。
 愚公は三人の子どもやたち、そして隣家の小さな子どももまじえて山をくずし、渤海の浜に運び始めた。ところが、気の長い話で、渤海まで行くのに半年かかる。これを見た知兜という人が「あんたの馬鹿加減にあきれるわい、い先 短いあんたの力で、こんな大きな山をどうしようというんだ」。すると愚公はこう答えた。 「お前さんみたいな、はかな心の持主には到底わかるまいな。よいかな、たとえ老い先 短いわしが死んだとて、子どもは残るし、子どもはまたを生み、孫はまたその子どもを生み、その子どもにまた子どもができ孫ができして、子々孫々とだえることがあるまいて。ところが山の方はふえるもんじゃない。とすれば、いつかはきっと山もなくなると思うが」
 これを聞いて智兜は二のがつげなかった、ところが、もっといたのは、山の神で、山の切りくずしがいつまでも続けられてはかなわぬ‥…といって天帝えでた。天帝愚公真心感心し、力持ちのじてこの山を移させた。
 以上が中国の寓話愚公 山を移す」のあらすじである。内灘の砂山を切り開いて、くる日も、くる日も、それを運びつづけて7百万立方メートル、山 移って堤防となった。

 

 

 

 

 

 土運船目的地着くと、船底からみこんだ土を落とす。このようにすると、船底がつかえない程度の深さまでしか、土をけない。つまり、土の運搬はできても、水面上の高さまで土をり上げることができない。放水路りとともに、ここでもポンプ船が活躍した。
 ポンプ船は、水中の土をることもできるが、はき出すのパイプを高く持ち上げてやれば、はき出された土砂の山は、水面上に顔を出す。したがって、ところどころに「タメマス」をつくり、土運船がそのタメマスに砂を入れ、その砂をさらにポンプ船で堤防まで運ぶ……方法がとられたのである。
 上の写真は、タメマスの砂を堀るポンプ船、右は、ポンプ船から送られてくるパイプの先端で、はき出される様子す。

 


 放水路の工事が進んで、と日本海がつながると、潟の水はストレートに海へ出る。洪水のとき、ストレートに海へ出すのが放水路の目的である、………が、 普段水位で、海のれた時、に流れて、塩水が浸入する。
 塩水は、水田や畑の用水に使えないので、この逆流を防ぐのが防潮水門である。
 したがって、放水路が海とつながれる前に、防潮水門を完成させなければならない。右の写真は、ほぼでき上った水門の姿であるが、この時点では、まだ、放水路との間に砂丘が残っている。

 

 

 長さ 1,670メートル、砂丘をたちった放水路の完成も間近い。写真の下を横切るのは、工事のために、つけかえられた県道で、ポンプ船の通行ができるよう、の橋がかけられている。そして、県道の上 左に見えるのが、この工事で働く船のためにつくられたドックである。
 次ページの写真は、防潮水門の完成とともに、海とつながった放水路で、県道にも新しい橋、内灘大橋がかけられた。
 放水路、締切堤防工事で、受け持った仕事を無事やりとげたポンプ船団。内灘大橋もみえるし、はるかにびる正面堤防も見える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前のページへ  目次へ  次のページへ