高い山に囲まれて、往来の不便さに閉口していた愚公という老人が、あるとき家族を集めて、こう相談をもちかけた。「わしは、お前たちとありったけの力を出し合って、あの山を切りくずそうと思うが、どうじゃろうか」家族の一同、大いに賛成したが、愚公の細君は「切りとった土や石をどこに捨てるんですか」と心配した。しかし、他の者たちは「渤海の浜にでも投げすてるさ」と大変な意気ごみで、とうとう相談がまとまり、仕事にかかった。
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土運船が目的地に着くと、船底から積みこんだ土を落とす。このようにすると、船底がつかえない程度の深さまでしか、土を置けない。つまり、土の運搬はできても、水面上の高さまで土を盛り上げることができない。放水路の堀り割りとともに、ここでもポンプ船が活躍した。 ポンプ船は、水中の土を掘ることもできるが、はき出す側のパイプを高く持ち上げてやれば、はき出された土砂の山は、水面上に顔を出す。したがって、ところどころに「タメマス」をつくり、土運船がそのタメマスに砂を入れ、その砂をさらにポンプ船で堤防まで運ぶ……方法がとられたのである。 上の写真は、タメマスの砂を堀るポンプ船、右は、ポンプ船から送られてくるパイプの先端で、はき出される様子を示す。
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放水路の工事が進んで、潟と日本海がつながると、潟の水はストレートに海へ出る。洪水のとき、ストレートに海へ出すのが放水路の目的である、………が、
普段の水位で、海の荒れた時、逆に流れて、塩水が潟に浸入する。 塩水は、水田や畑の用水に使えないので、この逆流を防ぐのが防潮水門である。 したがって、放水路が海とつながれる前に、防潮水門を完成させなければならない。右の写真は、ほぼでき上った水門の姿であるが、この時点では、まだ、放水路との間に砂丘が残っている。
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長さ 1,670メートル、砂丘をたち割った放水路の完成も間近い。写真の下を横切るのは、工事のために、つけかえられた県道で、ポンプ船の通行ができるよう、仮の橋がかけられている。そして、県道の上 左に見えるのが、この工事で働く船のためにつくられたドックである。 次ページの写真は、防潮水門の完成とともに、海とつながった放水路で、県道にも新しい橋、内灘大橋がかけられた。 放水路、締切堤防工事で、受け持った仕事を無事やりとげたポンプ船団。内灘大橋もみえるし、はるかに延びる正面堤防も見える。
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