新生の大地で
人口40万の金沢の街、この金沢の中心から車で30分も走れば干拓地に着く。
下の表は、金沢市民が口にする野菜の実態で、ずいぶん色々な産地から運ばれてくる。そして、これらの数字は、生産技術と流通機構の激しい戦いに勝ち残った結果を示している。 |
干拓地で農業をされる方々は、干拓事業にかかった費用の一部を返済しなければならないが、この返済は事業が完工した翌年から始まる、つまり、本番が始まるのであって、それまでの期間を暫定営農と言う。 大地は限りなく植物を育ててくれるが、人間の望む作物を収穫するには土地を改良しなければならない。作物が変われば、改良の方法も変わる。人間がそこにいる限り、土地改良に終わりはなく、日本の農地には永い永い改良の歴史が秘められている。この長い歴史からみれば、河北潟の干拓地は生まれたばかりで、本当の土地作りは、これから始まる……ともいえる。 干拓地に立って見回すと、日本ばなれのしたながめ、広大な畑が目に入る。そして今、限りない未来を秘めたこの大地に、近代農業への確かな足取りが響く。 |
国営干拓事業で作られた232ヘクタールの飼料畑には、牧草がつくられる。この牧草で飼育される乳牛と酪農家の方々も、この干拓地に住むことになるが、乳牛を飼うための施設や機械も必要となる。これらは、干拓とは別の事業(干拓地内生産団地整備事業)で行われたが、写真のように、酪農家4戸が一つのブロックにまとめられ、全体が七つのブロックに構成されている。 |
上は牧草の収穫、右は飼育されている乳牛である。家畜の飼育には公害問題がついてまわる。その点、広々とした干拓地は恵まれた環境にあるが、もちろん、ここには、汚水処理の施設もついている。 |