水田から畑へ 有史以来、米を食べつづけて来た日本人、太平洋戦争に負けて飢餓線上をさまよった日本に、大きな異変が訪れた。昭和20年の敗戦で、焦土と化した大都市、荒れ果てた国土、そしてせまい国土にあふれた人間。こんな中から立ち上った日本の目ざましい復興は、戦勝国欧米に追いつけ追いこせの連続だった。そし
て、貿易立国と食生活改善の狭間で米が余りだしたのである。
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干拓地を堤防で囲い、中の水をポンプでくみ出した内灘ポンプがそれであるが、もともと、水田で発足したため、それなりの能力しかこのポンプは持っていなかった。 下の写真は、水田から畑に変わり、このため最初に作った内灘ポンプ場のかたわらに、新しく付け加えられたポンプ場で、この他に、津幡、金沢の両ポンプ場が必要となった。 |