は じ め に

 河北潟のすべてを、最も端的物語ってくれるのがこの地図である。山と海と川、そして大勢の人が住む金沢の町。大自然の中でまれてきた人間の歴史のみならず、大げさに言えば、天地創造歴史までもが にじみでている。
 加賀前田藩銭屋五兵衛が、かつて河北潟に取りくんだ事実を下敷きにして、金沢市をみこむ広さの干拓地をながめるとき、人間と自然がかかわり合ったドラマの終幕を感ずる。
 河北潟をおおうような形で海側にれ下がる緑色山地。高いことだけからいえば、山地に間違いはないが、その中味は砂丘である。「動かざること山のごとし」と表現するが、それはこの世で 50年位しか活躍できない人間の見方であって、この山も動いてきたのである。そして、この砂山められた歴史が、河北潟を造り出した歴史にもつながってくる。
 昭和38年に干拓事業が始められた、以来23年。干拓事業ったいま、四季折々の顔をみせた潟が、かな、りない可能性めた大地に生まれかわった。
 の河北潟を知る人は年々っていくし、生きることにわれる世の中で、ったことはどんどん風化していく。
 めて、この地図をながめるとき、河北潟の干拓地も、やがては、干拓をれて、普通大地となろう。れることはあっても、えることのない干拓の事実、干拓の意義意味後世えられなければならない。これがこの冊子をまとめた目的であり所以でもある。

 

 

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