工事報告

 本日ここに来賓多数をお迎えして、河北潟干拓建設事業の干陸式が挙行されるにあたり、工事経過の概要を
報告する機会を得ましたことは、事業所職員一同とともに、よろこびといたすところであります。

 (中  略)

 今日まで実施しました主な工事としては、放水路、干拓堤防、地区外道路、干拓地排水機場および周辺既耕地
の河川改修工事であります。放水路工事は、内灘町大根布地先より砂丘地を貫いて幅 110m延長 1,670mの
水路開さくを行いました。河口近くに鉄筋コンクリート構造で5門の鋼製ローラーゲートを有する防潮水門を設けて、
潟の水位調節と潮の流入を防ぎ、河口には導流堤左岸 250m、右岸 90mを造って河口閉塞を防止、県道を
横断する所は延長 132mの鉄筋コンクリート橋を架けました。これらの工事は、昭和40年から44年までに、
一部を残して完了しました。 
 この放水路掘さくにより約720万立方メートルの土砂が出ましたが、これを直接運搬して、干拓締切堤防を完成し 
ました。干拓締切堤防は、内灘町宮坂地先より宇ノ気町、新宇ノ気川河口に至る 9,600mでありまして、基礎 
地盤の不良な場所は、堤防敷巾で 133mから 64mの広さに不良土を約2m剥ぎ取り、放水路堀さくによって 
生じた良質土砂で置換え、安定した緩傾斜型の堤防を築造し、法面は、アスファルト、植生の舗装を行いました。
 この工法としましては、経情性と安定性を種々比較検討しました結果、先ず、放水路の土砂堀さくには、ジェット
モニターを用い、標高 50mあまりの砂丘の土砂を圧力水で水中に落し、その砂を 600馬力のサンドポン プ船で
堀さくして、サンドローダーを用いて土運船に入れ、潟内にあらかじめ造った溜桝に運び込み、それから 再び
サンドポンプ船をつかって堤防を築きました。 
 かくして、放水路堀さく土量 約 720万立方メートルを、干拓締切堤防用土に 520万立方メートル、本事業に
関連して石川県で施工されます湖岸堤防用土に 105万立方メートル、干拓地区内道路用土に 95万立方メートル
をそれぞれ利用しました。この工法の特徴は、放水路掘さく工事と同時に、干拓締切堤防をつくるという一石二鳥の
工法でありまして 昭和39年から43年の 5ヶ年間で完成することができました。 
 地区外の重要幹線道路としましては、昭和42・43年に延長 290mの湖南大橋、延長 240mの湖北大橋を
架けました。また干拓地の排水機として昭和43年に口経 1500mm2台、口経 800mm2台の内灘ポンプ場が完了
しました。そして、昭和44年には、西部承水路工事として、河北潟の西部宇ノ気町、内灘町の畑地と砂丘の用排水
および干拓地の用水源として利用する,延長 7,000mの締切堤防と、内灘町西荒屋地先に計画しております
26陥の集落地造成工事に、約 150万立方メートルの盛土供給工事が必要となりました。この工事の完了をまって、
初めて干陸を開始できる状態となりますので、このため、採土地として、宇ノ気町大崎の背後の砂丘を選び、工法と
しては、回転式掘さく機とベルトコンベアの組合せにより、一日当り一万立方米の土砂の供給を行い、さらに土運船
に積込み、 600馬力のサンドポンプ船で直接堤防盛土を行いました。
  かくして、河北潟干拓の干陸にそなえてのすべての工事は順調に進み、ポンプ船団引揚のために開口していた 
正面堤防 250mも昭和45年3月17日、着工以来6年目にして無事締切を完了しまして、今日の式典をむかえるに
至ったのであります。なお、これら干拓工事と併行しまして、周辺の土地改良事業に関連する河川改修工事も実施
しております。工事開始の昭和38年から44の7ヶ年間に投じた費用は67億4千万円であります。 
 今後に残っております主な工事は、湖岸堤防沿いの用排水路工事とポンプ場工事、宇ノ気地区外道路、大宮川 
改修および干拓地の用排水路、道路の整備工事などであります。 
 本日より本格的に排水を開始しましたので、半歳を出ずして湖底の大部分は新しい大地として、生まれ変わら 
んとしています。しかしながら、米作に対する厳しい社会情勢であります今日、干拓地の利用につきましては、 
幾多の論議を呼ぶところでありましょうが、何卒皆様方の力で、この干拓地を、未来の農業発展の場として立派 
に育成していただき、十分に利用していただけることを確信しております。 
 おわりに、事業の遂行にあたりまして御協力をいただきました漁業者、地元関係各位、ならびに、軟弱地盤と 
戦いながら工事をされました施工業者の方々に、深甚なる感謝の意をあらわします。
 これをもちまして、工事の経過報告といたします。

      昭和45年5月10日 北陸農政局 河北潟建設事業所長           北 村 孝 次 郎