河北潟に思う


近くて遠い河北潟
 昭和38年から23年の年月と305億円の巨費を投じて、潟の3分2の面積が干拓地となった。
自宅からたった1.8kmにある河北潟は、私が物心ついた頃には「干拓工事中、立ち入り禁止」
であった。
この年月が、河北潟を人々の心から「忘れられた遠い存在」にさせてしまったのではないだろうか。
あまりに知らなすぎる自分。自分の子どもへも地域の子どもたちへも何も語れない自分。
ずっと心に引っかかっていたこと、それが出発点であった。

知ることで愛着がわいてくる
 河北潟をとりまくさまざまな環境の問題(水質の悪化、たくさんのゴミ、生態系の問題など)は
一人の力ではとうてい解決できない。 しかし、それを何とかしたいと考えている人は、まだまだ
少ないような気がする。極端な話、どんなにゴミがあっても、魚が死んでも、自分たちの生活に
ほとんど影響がないからである。(・・・ないわけはないのだが・・・・) 
 「自分には関係ない」そう言い切ってしまえる人は、ある意味幸せだ。自分もそうであったから
間違いない。
 しかし、しかしである。
河北潟に生きる魚・鳥・小さな生物・植物、干拓地で農業を営む人や先人の願い、行政の取り
組み方など、知れば知るほど、こんな私でも、できることなら何とかしたいと思えてくる
自分のものでもないのに、自分の生活にそんなに関わりもないのに、愛着がわいてくるのである。
 自然と人間の共生という大それたテーマを考えてみるとき、貴重な判断材料を与えてくれるのが
現在の河北潟なのだという気がしている。

地域の子どもたちへ知らせたい 
 河北潟のことを地域の子どもたちに知ってほしい。そして愛着をもってほしい。欲を言えば
郷土の誇りとして大事に思って、守っていってほしい。
 しかし子どもたちにいきなり環境がどうのと言ったところで興味を示すはずがない。 何しろ
潟を汚しているのは子どもたちではないのだ。自分のこととしてとらえろと言うのは無理な相談だ。
 それなら、自分の場合はどうだったのか。
潟を何とかしたいと思ったのは、やはりそこに棲む生き物にふれたときだった。
 河北潟は何万羽も鳥が渡ってくる素晴らしい場所であること、その種類の多さも知らなかった。
何万というツバメが乱舞するねぐら入りを見たときの驚き。鮮やかなキジの姿を見たときの感動。
何種類もあるカモの姿と名前が一つずつわかってきたときのうれしさ・・・。
「そうだったのか」・・・よく知ることこそ、親しみをもつための最大の要因なのである
そして、ある程度知ることで、もっと知りたいと思うようになる
 子どもたちも生き物が好きなはずである。このページ群で紹介している鳥や生き物たちを見て
知り、興味を持ったら、ぜひ実際に出かけて本物にふれてほしいと思う。
そしてそれらを守っていきたいと、ほんの少しでも思ってもらえるなら、私は満足である。

2003.4.28